こころの体験談研究会

代表研究者 東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院教授 弓山達也

〒152-8552 東京都目黒区大岡山2-12-1 東京工業大学 W9-28

研究会の趣旨

現代日本において宗教に対する無関心と拒絶感が拡がっている。その一方で「宗教に対する一般的な教養」という文言が教育基本法に盛り込まれるなど教育界で宗教知識や宗教的情操の必要性が議論され、医療・看護の現場で宗教者との協働が模索されているのも事実である。海外に目をやれば、例えばアメリカ合衆国では神を信じる人は90%を越え、政治にも影響は大きく、日本以外の先進国では、宗教的価値観に基づく倫理性が人生や社会の基盤として認識されており、創造性に満ちた安心して暮らせる社会背景として機能している。日本でも、伝統宗教や伝統教団の有する倫理性や公共性が、健全な形で社会に受容されることが期待されているといえよう。

本研究では、こうした宗教性の正の資産に注目し、生活世界(あるいは人々の人生や日常生活)と宗教性の接点を具体的に記述する素材として「体験談」にアプローチし、宗教/世俗間のコミュニケーションの促進とインターフェイスに関わる理論構築のための実証的研究を志向するものである。この理論的・方法論的な革新に基づき、体験談の(1)多様性の分類化、(2)読み手が体験談を受け入れる度合いや評価といった受容可能性の測定、(3)以上の成果を踏まえ、体験談をウェブコミュニティ上で公開し、社会からのフィードバックを得ることを目的とする。

そもそも、宗教研究において宗教的体験談は好んで用いられる題材であった。孝本貢1980、渡辺雅子1980、日野謙一1982、島薗進1986、弓山2004 といった体験談研究では、回心としての体験談の物語構造、また教団活動や信仰体系全体の中における機能や位置を解明することに向けられてきた。しかしながら宗教性が宗教セクター以外の広がりを見せる昨今、従来のように体験談を宗教教団の出版物に限定して分析する意義は、それほど大きくなく、むしろ広義の体験談における宗教的体験談の位置づけなり、その類型化なりに注意が注がれるべきであろう。そのことは体験談を紙媒体に限らず「語り」として再措定した萩原修子1994、芳賀学1997、菊池裕生1997、芳賀学・菊池裕生2006 らの研究にも、同様にいえる課題である。

本研究では、非宗教的な体験談が広く一般に受容されていることに鑑み、それとの比較の中で宗教的体験談を類型化しその受容可能性を測定することが急務であるとの認識にたっている。体験談ブームの広がりに関する文化評論は散見されるものの、そこには明確な分類基準や指標は皆無といえる。また、従来の事例研究もその分類は思弁的・先見的基準に基づくものであり、実証的な分析は施されていない。それに対して本研究では、最先端の手法を取り入れ、宗教的体験談の受容可能性や分類を厳密な統計的手法を用いた量的な測定で実証的に担保させることに特徴がある。そこでは人々の意識の実態を明快に提示することにこそ意義があり、従来の研究が提示してきた理論の妥当性を実証的に検証するとともに、従来の研究が見出しえなかった発見を得ることが期待される。

そこでキーとなるパースペクティブは、宗教をこころの問題と捉え、宗教体験談を「こころの体験談」として捉えなすことで、より軽やかで自然なコミュニケーションの可能性を探るというものである。